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執筆者の写真林好子

朝稽古〜学習の方法を学習する〜


​アメリカ・ニューメキシコ州滞在中の日課の一つは、剣のお稽古。​  

朝ごはんの前に庭でやることに決めた。

やることはシンプル。

繰り返し繰り返し振るだけ。

あえて一連な型のようなもの(剣技1、2)はしない。

シンプルなだけに難しくて、振っていてもなかなかしっくりこない。

「あっ、今の!!」と思った次の素振りではまた「違う!!」となり

理想に少し近づいては遠ざかり…を繰り返している。

地味なお稽古なだけに最初は忍耐と隣り合わせで振っている感じだったが、何日かするとこのシンプルなお稽古の深みにハマって面白くなってきた。

そして、いろんなことに気づく。

剣を振るという行為の中で私が二つのことを探求している(ということに気づいた)。

一つは、剣を振る、という動作そのもの。

もう一つは、どうやって練習すべきか、ということ。

一つ目の「剣を振る」ということに関しては、お稽古の主目的が剣の上達なので探求の対象であることは当然といえば当然。

剣を振る上でいくつかのポイントがあって

剣先から動いているか

剣を持つ手や全身は力んでいないか

剣先まで氣が通っているか

振り下ろした際に静止があるか(剣先がブレないか)などを、素振りを通して身体で覚えていく。

身体に覚えさせる、つまり無意識下に落とし込むにはある程度の回数(量的なお稽古)が必要なのは言うまでもない。

だからアスリートも武道家も繰り返し繰り返し練習する。

ただ、がむしゃらに繰り返すだけの練習をしていても上達しない(と思う)。

どうやって練習すべきか。

そこがお稽古の量と匹敵する、あるいはそれ以上に大切なように思う。

だからそれを剣を振るという行為を通して探求している。

どんな意識で(あるいはどれだけ意識を捨て)、どんな速度で、どんな順番で、どれだけの時間割合でやればいいのか。

例えば、一つのことをポイントに置きすぎるとどんどん注意が狭まってくる(私の場合)。

剣を握る手に注意を向けて練習していると、残りの身体の部分が疎かになり膝が硬くなってくるのに気づく。

剣先から動くことを意識していると、世界が薄れていく。

ポイントを絞って練習することは学習するプロセスとして必要だと思うが、ポイントを意識しすぎて偏りが強まってくると理想に近づいているようで遠のいていることがある。

そんな時はまた全体に意識を向け、部分と全体とのバランスをとってみる。

ただ、そんな練習が良いのか、どのくらいの割合でやればいいのかまだよく分からない。

どうやって練習すれば最も効果的かという点においては山ほど視点、ポイントがあるように思う。

それについて私自身はまだ試行錯誤、探求の身なので今はあまり具体的な部分に触れないでおこうと思う。

いつか、具現化できるようになるといいなと思う。


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