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執筆者の写真林好子

動きの中に選択肢を見つける



私が自身の生徒さんにお伝えしていることは「正しい身体の使い方」ではなく、身体・動きに選択肢を与えること、もう少し正確に言えば、その人自身が身体や動きの中に選択肢を見出し、その都度選べるようになることをサポートしているように感じる。



多くの人は動きに選択肢がない。

どんなに窮屈でそこを抜け出したいと思っていても、どんなに異なる表現をしたいと思っていても、その動きは習慣的で選択肢がない。

 

 

ピラティスやヨガはいろんな型を持つ。

一見違う動きをしていると感じるだろうが、その型の中で選択肢を見出せない人が多い。

でも選択肢は沢山あるのだと思う。



歩く、という一つの動作でもそうだろう。

速く目的地に向かいたい時と長い距離をなるべく疲れないように歩くは違うと思う。

春の風を感じながら心地よく歩きたい時の体も違う。




人は生きる上で常に移ろいでいる。

様々な行為・動作、置かれた状況の中で「正しさ(正しい身体の使い方)」の枠でいたら不自由さを感じるのではないだろうか。



とはいえ選択肢を見出せるようになるために、ある種「正しい」と言われるような身体の使い方を学んでいく必要があるように感じている。



一つの学びのプロセスとして、土台として学ぶ必要があるのではないだろうか。


そして、プロセスの先に、あるいはそれを土台として、身体・動きに選択肢を見出し、その都度選べるようになるのではないだろうか。



そんな風に思う今日この頃。



未来に今のこの考えがどう移り変わるのか今の私にはわかりません。

それも含めて探求を続けていきたいと思います。

そして、未来にこれを振り返れるように書き残しておきたいと思います。

 

 

未来に自分がどう感じるかと楽しみです。







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