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執筆者の写真林好子

動きを変えるための意識の匙加減〜はからいという視点から〜


ブログにお越しくださり、ありがとうございます。



さて今日は、意識の匙加減について「はからい」という視点と絡めながらお話ししたいと思います



私たちの日常における動きの多くは、無意識に行われています。 無意識で動ける、自動運転できるというのは私たちに与えられた能力である一方、動きがパターン化してしまいます。

要は、いつもと同じ、癖で動いてしまうということです。

ですから、動きを変えていく(脱習慣をする)ためには、無意識で行っていたことを一旦意識的に行う必要があります。



ここまではなんとなく同意いただけるかなと思います。



しかしながら、ただ無意識から意識的にすれば良いかというとそうではありません。 意識の使い方次第で、かえって動きがぎこちなくなったり、動きを邪魔してしまいます。 したがって意識をどう使うか、その匙加減が大事になってきます。



これに関して、生徒さんと面白いやりとりがあったのでご紹介したいと思います。



生徒さんが、ご自身のピアノ演奏の動画を送ってくださいました。

それに対して、私が見えたこと、動きを変化させるためのアドバイスなどをさせていただいた際のやりとりの一部です。

※ご本人の許可を得て掲載しております。



<私からのメールの抜粋>

これは私の見立て・推測ですが、出だしの方が◯◯さん的に△△を意識していたのではないかと思いますし、一見側からみると柔らかく動きがあるように見えます。 ただ、個人的には後半になればなるほど、自然なようにも見えます。 それはおそらく、意識的なはからいが見えない分、後半ほどより音楽と繋がっているように感じたからかもしれません。

コンサルでもお伝えしましたが、今は新しい使い方を身につけるプロセスの中にいるので△△を意識してもらって構いませんが、その質を獲得できたら△△を忘れて演奏するところを目指してくださいね。そしたら、◯◯さんの良さが全て引き立つ気がします。



<これに対して、生徒さんからのお返事の一部>

好子先生はなんでもお見通しなんだなと驚きました。

曲の前半は「△△」をずっと意識して弾いていました。

不思議なことに間違えたところ辺りから身体への意識が薄れてどんどん音楽に入り込んで弾いていました。 間違えたことで妙な緊張が解けたと言いましょうか、開き直ったと言いましょうか、それまでなんとかして△△を意識して弾ききろうと思っていた思考が吹っ飛んでいました。

それは決して悪いことではないんですね?!ホッとしました!

ありがとうございます😊



私は人の動きを見るのが好きで、プロアマ問わず、様々なジャンルのパフォーマンスをよく見ますが、動きの中に「はからい」が見えることがあります。



例えば、この人は歩く時に踵から接地しようと意識しているんだなとか、足音を立てないよう意識して動いているんだなとか、視線が下がらないように頭の位置を気にして動いているだなとか・・・。

動きを整えるためのはからい、別に言い方をすれば、自身の身体に対してなんらかのメッセージを送りながら動いているのが見えるのです。



先にも書きましたが、動きを変えていくために意識的になる必要があり、「はからい」というものがある段階では必要だと思っています(これに関して、賛否両論あると思いますが)。



でも、その「はからい」が側から見えるというのは、その意識が濃すぎる場合が多いように思うのです。あるいは、思考が余分に入り込んでいるか。

そして、すべての人に見えるわけではないでしょうが、少なくとも私にはそのはからいによって動きの表現が違って見えるのです。

それは時にぎこちなさとして、不自然な動きとして、用心深さや躊躇として、そして、身体への囚われとして見えるのです。



私がパフォーマンスを見て感動する時というのは、たいてい「はからい」が見えないときです。

かといって、その人の中に「はからい」がないかというとそうとは限りません。

これは推測ですが、おそらく多くの場合、その人の中には何らかの「はからい」があるのだと思います。 注意すべきことを注意している。でもそれが見えないぐらい背後?水面下?で行われているように思うのです。

あるいは、意識的に練習を繰り返し身に落とし込まれていった結果、無意識で自動的にそう動いているという瞬間もあるでしょう。



いずれにしてもその人の「はからい」が側から見えず、ただその人の意図するところが起こっている瞬間、その人がそのパフォーマンス、そして自分自身と深く繋がっているように感じられるのです。

それゆえ、見ている人は、少なくとも私は、そのパフォーマンスに惹き込まれ感動するのではないかと。



少し話が難しくなってきたので戻しますが、動きの癖を変えていくときに、一旦無意識から意識的にする必要があります。

そして、ただ意識すれば良いかというとそうではなく、意識の濃さ・集中度(広がり具合)・方向性(自分と世界・パフォーマンス)の匙加減が大事になってきます。



その匙加減は実際にやってみるとわかりますが、決して簡単ではありません。

時に意識が濃く・狭くなり、力みや不自然さが生まれたり、複数のことを意識しようとして思考と身体の混乱を招いたりします。

でも、そういう失敗を繰り返しながらトレーニングしていくと、意識の匙加減が少しずつ上手くなっていきます(意図的にトレーニングしていれば、ですが)。

そして、意識の匙加減が上手くなると、動き・パフォーマンスに変化が生まれていきます。



動きのトレーニングとは、身体を動かすことと思われがちですが、自身の意識の使い方を含めたトレーニングでもあります(と私は思っています)。

そして、無意識に行っていたものを意識的に行うことで動きに変化をもたらし、意識的に行っていた動きを無意識で行えるように落とし込んでいく、その一連の作業が必要なのだと思います。



自分自身が今どんな意識の使い方でいるのかに気づき、その意識の使い方を選択していく。

無意識と意識との間を行き来しつつ、意識の匙加減を学んでいく、そして、最終的に自身の望むパフォーマンスに近づけていく、それが動きの探求であり、動きの探求における難しさでもあり面白い部分だと感じています。



ちょっと難しい話になったかもしれませんが、参考にしていただけると幸いです。


(本ブログはメルマガより抜粋)


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