「体全体を使いましょう」といった言葉は最近様々な分野で聞かれるようになってきました。
私が学んでいる合氣道でも体全体を使うことを大切にしていますし、もちろんアレクサンダー・テクニークもそうです。
体全体を一つのものとして使うこと=統合性の獲得は、身体の機能を最大限に発揮するための鍵とも言えるので、あらゆる分野が全体性・統合性というものを大事にしています。
“では部分を学ぶことは大事じゃないのか?”という疑問が湧いてきます。
結論から言うと、部分を学ぶこと、整えることは大事です(と私は思っています)。
なぜなら部分は全体を支えるからです。
しかしながら、どれだけ部分を学んでも統合性(全体性)を得ることはできません。
統合性とは部分がただ集まって存在しているのではなく、一つにまとまっている状態であるため、統合性を得るためのトレーニングが必要です。
ということで、結局のところ、部分を整えるトレーニングも、統合性を得るためのトレーニングも両方大事ということになります。
部分と全体(統合性)、両方が大事ということに関して、オーケストラを想像していただくとわかりやすいと思います。
オーケストラが素晴らしいパフォーマンスをするためには、個々の演奏家が自身の演奏を向上させ、自分のパートをしっかりやり遂げることが必要です。
体でいうところの、部分を学び、部分の機能を高めるのが、これにあたります。
しかし、どれだけ個々の演奏家が自身の演奏を向上させても、全体としてのハーモニーがなければ良い音楽にはなりません。
各演奏家の奏でる音が全体として一つになることで、素晴らしい音楽になります。
体も同じで、部分がどれだけ整っても、全体が一つに統合されなければ、最大の機能は発揮されないということです。
そういう観点から言うと、アレクサンダー・テクニークでいうところのボディマッピング(体の地図)を学んだからと言って統合性が得られるわけではありません。
むしろその逆で、統合性を失うきっかけにもなり得ます。
とはいえ、先に述べたように部分は全体(統合)を支えており、部分が整わずして統合性はあり得ませんので、ボディマッピングは有効な手段だと言えます。私自身、自分の生徒さんにボディマッピングを教えています。
ボディマッピングを始め部分を学ぶこと・整えることは、さらにその先にある統合性やアレクサンダー・テクニークでいうプライマリーコントロール、整った自分(単に体だけでなく)を見つけるためのプロセスとも言えます。
なんでもそうですが、本質や最終ゴールとそこに至るプロセスは一緒とは限りませんので、一見本質や最終ゴールと矛盾することも大事ということです。大切なのは、自分が目指すゴールがわかっていて、そのプロセスとして部分を学んでいるということを自覚していることだと思います。
そういったことから、ボディマッピングによって時に驚くような変化はあっても、無敵なものとしてしてお伝えすることはしませんし、それに執着することもありません。
もちろん、ボディマッピングだけで体が整うということも言いません(そんな風に思っていないので)。
そしてボディマッピングによって部分への囚われになるといった落とし穴に陥った人のための介入法もお伝えしますし、部分を理解したら統合性(全体)というところに必ず向かうように促します。
話がボディマッピングにズレてしまいましたが、要は、目指すところは統合性(全体性)ですが、そのために部分を整えていくということもプロセスとして大切ということです。
部分と全体(統合性)、一見矛盾するアイデア故にどちらかに偏りがちですが、その時々で自分に必要なものを選択し、自分を整えていっていただけたらと思います。
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