アレクサンダーテクニーク教師、理学療法士の林好子です。
ブログにお越しくださり、ありがとうございます。
今日は、「力を抜くだけでは事足りない」ということをお話ししたいと思います。
私は心身統一合氣道会で合氣道を習っています。
合氣道はアレクサンダーテクニークと同じで、余分な緊張を手放すことを大切にしており、心身統一の4大原則の二つ目が「全身の力を完全に抜く」となっています。
そういったことから、お稽古中に指導員の先生方や仲間から「力が入りすぎ!」「力をもっと抜いて」といった言葉がよく聞かれます。
ただですね、以前、師範の先生の技を受けている時、ふと思ったんです。
仮に私が筋肉の収縮を減らしていったとして(力を抜いたとして)、こんな風に(こんな動きに)なるんだろうか?と。
私の答えは「ノー(No)」でした。
師範の先生の動きを盗もうと先生の動きを感じていると、そもそもやっていること、動きの質が違うのです。
別の言い方にすると、その時の私がただ力を抜いていった(筋肉の収縮力を減らしていった)延長に、師範の先生の動きはないということです。
つまり、力を抜くこと(いわゆる脱力)は大事ですが、ただ筋肉の出力を減らすだけでは事足り無いということです。
そして、筋肉をあまり使っていなくても力みになっていることはあるし、実際に筋肉の使っている量は大きくても力みがないという現象も起こりえるということです。
ここで何が言いたいかというと、脱力=筋肉の出力を減らす、力を抜きさえすればうまく動けるはず、と思っている人は、少し発想を変える必要があるかもしれないということです(もちろん筋肉の出力の程度も大事ですが)。
そもそも力みとは何か?ということを考える必要があるかもしれません。
デジタル大辞泉 をみると
1 )からだに力を入れること。 また、力が入ること。
2) つよがり。 負けん気。
うーん・・・。
1)をみると、筋肉の出力(出量)を想起させられる部分がありますが、個人的には力が入ることそのものが悪いことではなく、その力が自分を邪魔しているのか邪魔していないのか、やりたいことが望むようにできているのかできていないのか、が大切だと考えています。
量的に過不足なくということも含め、自分を邪魔せず、やりたいことに力が注がれていれば力みと言わないし、筋肉の出力として僅かであっても自分を邪魔するように(やりたい事を邪魔するように)力が使われていると、それは力みという経験になるのではないでしょうか?
プロのバレエの方などを見ていると、動きがとてもしなやかで柔らかく、一見筋力を使っていないかのように見えますが、脚も体幹も一般の方より筋肉がしっかりついていますよね。つまり、筋肉を使っている。でも力んでいないので、しなやかさや柔らかさが見えたり、力を使っていないかのように見えるということです。
そんな風に考えると、筋肉の収縮の大きさだけでなく、どのように動きを作り出すか、どういった筋肉の収縮の仕方なのかといったことが、力む動きかそうでないかの分かれ目になるのではないでしょうか。
ちょっと長くなってきましたので、今日はここまでとしますが、脱力(良い意味で)は大事ですが、ただ筋肉の出力だけ減らせば良いと思っている方は、その思い込みを一旦外してみると良いかもしれません。そして、筋肉の収縮が自分の動きを邪魔しているのかいないのか、力がやりたいことのために注がれているのかいないのか、という視点を加えて自分の動きを観察してみてください。
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<余談>
6月に開催された合氣道の体技発表会の動画が出来上がり、自分の動きを見ていたんですが、客観的にみると「まだこんなもんか~」という感じでした。主観と客観の違いは大きいですね💦
ただ、昔の私だったら、「ここもダメ、あそこもダメ」とダメ出しばかりで凹んでいたと思うんですが、今は「次の課題はこれだな!」「こんな風に練習したら修正できるんじゃないか」と冷静かつワクワクしながら分析する自分がいます。そして最後は「私、伸び代いっぱいだわ♪」とお稽古が楽しみになるのは、成長したところかなと☺️
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