先日、アメリカにいる愛犬ラスティがこの世を去りました。
彼はわたしにとって家族であり、師匠でもありました。
彼から学んだことは数知れません。
今回その一つご紹介したいと思います。
私たちには二つの世界があります。
自身をとりまく世界と、自分自身の内側にある世界。
そしてどちらの世界にも戦争(War)と平和(Peace)があります。
これらを組み合わせると4つのパターンが存在します。
①平和な世界に生きる、平和なわたし。
②争いの世界に生きる、争うわたし。
③平和な世界に生きながら、争うわたし。
④争いの世界に生きながら、平和なわたし。
①や②は当然といえば当然な状態です。
例えば、仕事がとんとん拍子で進んでいると自分自身の気分もルンルンしてきますし、バケーションで素敵なホテルで過ごしている時に平穏な気分になるのは当たり前です。
逆に、戦争中でいつ爆弾が飛んでくるか分からないような場所に暮らしている人にとって、心が怒りや恐怖に満ち溢れている(戦争状態である)のも当然です。
③はいかがでしょうか。
自分の身に降りかかっていることは大したことない、特別な問題はなく平穏とも言えるような状況にいるにも関わらず、自身の内側は不安や怒り、執着、争いの気持ちでいっぱいになっている状態です。
多くの人にとって結構あることなのではないでしょうか。
私たちが未来を考える時、いまこの瞬間はなんの問題がないにもかかわらず、自分の内側はあたかも大変なことが起こっているかのように乱れてしまいます。
過去を振り返る時もそうです。嫌な現実は過ぎ去っているはずなのに、自分の内側はまだその時に抱えた争いの気持ちのままでいたりします。
あるいは、周囲は自分のことを認めてくれているにも関わらず、自分自身が自分を受け入れられず苦しんでいる人もいるのではないでしょうか。
私自身はすごく見覚えがあります・・・(苦笑)。
そして最後④。
起こっている状況はとても大変なのに、自身の内側は平穏・平和な状態。
そして、その平穏・平和によって、気づいたら周囲(世界)すら平和に変えてしまうような人。
まさに聖人ですよね。
そんな人っているの?って思いませんか。
いるんです。それがラスティなんです。
彼の人生は不運の連続でした。
不運を語ろう会みたいなのがあったら入賞できるんじゃないかと思うぐらいです。
ざっと不運ヒストリーを紹介するとこんな感じです。
我が家に来る前のラスティのことはよく知りませんが、誰かによってシェルターに連れていかれ殺処分されそうになりました。飼い主に捨てられたのでしょう・・・。不運でしかありません。
そして、我が家に来てからはというと、フィラリアにかかったり、一人で散歩に出かけ帰って来ると頭蓋骨の一部が陥没したり、また別の日には頭の皮膚がパックリわれていたり・・・。度重なる獣医通いに獣医さんも驚きました。
そして、最大の不運は11日間のサバイバル生活。交通事故に驚いて車から飛び出したラスティは行方不明となり、厳しい自然環境であるニューメキシコ州で11日間サバイバル生活をしました。
あの時はもうダメかと思いました。その後も不運は続きました。
股関節の脱臼、皮膚の癒合不全等で2度の手術、巨大な腹腔ヘルニア、抜歯、変形性膝関節症…。フィラリア後、心臓や肺が強くないにも関わらず、何度も麻酔をかけての手術は彼にとって大変なことでした。
ある時、度重なる手術に悔しさと悲しさがこみ上げてきた私は、夫に向かって「なんでラスティばかりなんだ!!なんでラスティばかりに不幸がやってくるんだ!!」と泣きながら訴えました。
すると夫は言いました。「彼は不運の持ち主だけど、不幸じゃない。彼は幸せそうだ」と。
それを聞いた時、確かにその通りだ…と思いました。
怪我や病気になった直後は自身をケアするかのようにジッと耐えているんですが、痛みが減るや否や怪我や病気になったことすら忘れてしまっているかのように元気いっぱいで、いまを楽しむのです。
獣医さんから自宅安静と言われているのに家を飛び出して行くのには困りましたが、そういう彼をみているとこっちまで元気になります。
山を駆け回るのが楽しみだったラスティですが、晩年は股関節の脱臼や腹腔ヘルニア、変形性膝関節症で歩くこともままならない状態になりました。
それでも彼は自身の暮らしの中に幸せを見い出していました。
寝ることを楽しみ、仲間の犬たちに囲まれることを楽しみ、撫でてもらうことを楽しみ、そして食べることは最大の喜びでした。
山に行けないことに対し葛藤する様子もなく、自身のケアをすること、いまの自分にとって喜びを感じられるものを選んでいるようでした。
不運の連続のラスティでしたが、最後は何のハプニングもなく、驚くほど穏やかにこの世を去っていきました。
亡くなる前日の朝まで食事を楽しみ、ヨタヨタながらも歩き、ラスティのお世話をしてくれていたジェシカが見守る中、苦しむ感じもなく、痛みを感じる様子をなく、あっという間に息を引き取りました。
ジェシカが「ラスティにはエンジェルがついていたんだろうね」というように、最高の終わり方だったように思います。
不運の連続でしたが、最後の最後に幸運を手に入れたんでしょうね。
最後一緒にいたかった、会いたかったという想いはありますが、最高の終わり方を迎えられてよかったなと思います。
彼は私の師匠として、先導者として、こんな風に生きたらいいんだよ、こんな風に老いたらいんだよ、こんな最高の終わり方もできるんだよ…と自らの姿勢・行動をもって教えてくれました。
彼から学んだことは数知れません。
彼はこれからも私の中に生き続け、事あるごとに導いてくれることと思います。
ラスティ、ありがとう。
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